【時事雑感】名古屋市の河村市長が、高校入試を無くしたいって言ったことについて。

こんばんは、しめじです。
今夜は、教育関係の時事雑感を少々。

新教育長に「やってほしいのは高校入試廃止」名古屋・河村市長会見7月4日(Yahoo!ニュース)

ざっくりと書くと。

・高校に全入できる今日において、高校入試は不要である。
高校入試は、戦後、子どもが多かった時代において、全員を受け入れられないため生まれた仕組みである。
・アメリカのPBLやオランダのイエナプランのように、子どもに好きなことをさせていった方が学習効果は高く、高校入試のために塾も含めて勉強付けになる子どもへの悪影響は大きい。
・その代わり、キャリア教育を充実させたい。各自の突き詰めたいことを突き詰めるための時間を、例えば従来の数学の授業の回数並みに増やしていく。

という趣旨のことを言っているだろうと思います。

 さてさて、今夜は、「高校入試がなくなると何が起きるか」ということについて、簡単に想像がつく範囲でいろいろ考えてみたいと思います。
 先に私の考えを書いておくと、記事にあるような理想を掲げての高校入試撤廃は実現したら素晴らしいが、実現のためにクリアするハードルは実に多いし、その議論を全部すっ飛ばして撤廃ありきで撤廃するのであれば、絶対にやめた方がいい、という感じです。

目次

1 各学校間で、より選ばれる学校になるための競争が発生する。
2 今年できていたことが、来年もできるとは限らない。
3 高校入試を無くす三年前に、中学校の教育を変える必要がある。

1 各学校間で、より選ばれる学校になるための競争が発生する。

 これは間違いなく起きるでしょうね。
 現状維持大好き体質の教育公務員界隈には大きな衝撃が走ることになるだろうと期待します。

 全入とは言え、各自が好きな学校に入る、という仕組みを取る以上、中学生とその保護者から選ばれない限りは、生徒がどんどん減少することになります。
 今も、もちろん受けたいところを受験すればいいのですが、いわゆる高校浪人は避けたいという保護者、塾、中学校側の感覚もあって、多くの場合は大体「いけそうなところを受ける」というラインに落ち着いていくことになるため、多くの高校に入学希望者が振り分けられることになります。(もちろん、それでも地方を中心に定員割れする高校は多くあるわけですが)

 では、入試がなくなったらどうでしょう。
 行きたいところ、行くでしょ。
 ということは、行きたいと思ってもらえなければ、当たり前ですが誰も来ない。
 ならば、選ばれるためには何が必要か。

 当然、「他と違う」ことが要求されます。差別化ってやつですね。

 今現在の、多くの地方都市に共通する高校のラインナップって、大体こんな感じです。
1地域のトップ進学校。歴史も古く、大体合格するとおじいちゃんおばあちゃんが喜ぶ。
2地域の進学校数校。トップ進学校ほどではないが、それなりに勉強はハイレベル。
3普通科高校。大学進学にも対応はするが、専門学校や就職も視野に進路指導を行う。
4実業高校。これは地域次第。工業高校と商業高校が多く、地域によっては農林水産系もある。

 地域の人口規模や主要産業によって、それぞれが何校あるかは一概には言えませんし、中にはこのカテゴリのどこにも入らないような超独自路線突っ走る個性的な学校もあります。
 でも、それは当然少数派で、ほとんどの学校が、上の四つのどれかに入ります。

 さて、大学に行くことを強く希望している生徒が、1と2どっちに行ってもいいよ、となれば、どっちを選びますかね。
 となったときに、2の側の学校が自分たちを選んでもらうためには、何か1がやっていないことをしなければならない。
 例えば理数系に力を入れているので、特に理科の実験は充実していて、ほとんどが課題探求型にしています。知識や計算より、実験のレポートのほうが成績を決めるうえで重要になりますとか。
 例えば国際教育(国際教育って銘打ってただ英語の時間が他より週1,2時間多いだけの学校とかありますけどね)に力を入れているので、ちょっと修学旅行積立高いけど海外行くし、海外の高校との交換留学もしています、とか。

 何か、新しい付加価値を生まなければならない状況に、否が応でも学校は追い込まれますから、ある程度の競争は生まれるでしょうね。

2 今年できていたことが、来年もできるとは限らない。

 高校入試をやめて、行きたいところに行けるようにする、ということは、当然のことながら入学定員を定めない、ということになります。
 つまり、毎年のように生徒数が変わるというわけです。

 生徒数が変わるということは、その学校に配置すべき教員数も変わる、ということです。
 自治体内全体の子どもの数自体は変わらないので、教員の数自体はあらかじめ計画して採用することが可能ですが(計画しているとは思えないほど人足りなくて臨時任用の方だらけですけどね。なぜその人たちを正規でとらないのか)、どの学校に何人割り振るかは毎年変わります。
 当然、保護者から預かる各種費用や、自治体から割り振られる学校予算も変わります。

 つまり、急にあれこれ減って、去年できていたことが今年はできない、ということは起きえます。
 また一方では、急に生徒が増えて、やっぱり去年出来ていたことが今年はできない、ということも起きえます。

 例えば実習やインターンシップに力を入れている工業高校に、去年と比べて急に80人生徒が多く入ってきたら、去年出来ていたことはもうできません。
 実習のためには、機材が必要です。機材を増やすためには、安全確保のための人員も機材の置き場所も機材そのものも必要です。
 人員は毎年適切に割り振られ、機材を買う予算が与えられたとしても、場所は急には増えません。結局、増えた生徒に対して機材が少なくなることは起き得ます。
 そうなれば、去年生徒一人当たりに確保できていたのと同じだけの実習の時間は確保できません。

 また、インターンシップも、急に80人も受け入れ先を探すことはできません。
 高校生向けの求人公開が大体どこも7月であることを考えると、インターンシップの多くは2年生の夏から春にかけてに行われます。

 人員や予算調整のために、高校入試が行われていたよりも早い時期、例えば中三の夏に進学先決定を行って、各高校に次年度入学生数が伝えられるとしても、そこから2年間。

 2年間で80人分も枠探すなんて、到底無理です。
 これは、教員増やせばいいとか、時間確保できたらいいとかいう問題でもありません。地域の事業所の数に一番影響されます。

 一番極端なケースを想定すると、こういうことが起き得ます。
 極端ですが、有り得ないわけではない。

3 高校入試を無くす三年前に、中学校の教育を変える必要がある。

 「好きなことをした方がいい」というのは全く異論はないですが、その「好きなこと探し、やりたいこと探し」はその前段階で出来ているのが前提にはなってしまいます。

 もちろん、「好きなことを探せる高校」というコンセプトを掲げて差別化を図った高校が地域に存在してくれればそこに行けばいいですが、そういう高校が存在してくれなければ結構選ぶのに困ることになります。

 ということは、その前の段階の中学校教育もセットで変わらなければ高校入試撤廃は意味を成しません。
 また、中三まで高校受験を意識して勉強してきた子どもに、「はい、今年から高校入試はなくなったから、好きなところにいって好きなことを勉強していいよー」と言っても、おそらく本質的な高校入試撤廃の意義は失われるでしょう。

 ということは、入試撤廃よりも先に、変えなければいけない。

 長くなったのでこの辺にしておきますが、他にも大学や経済社会とのつながりや、「好きなこと」の範疇とそれに対して税金使って市民からOKでるのか問題や、まあいろいろと今の日本の社会ではクリアすべき課題はあると思います。

 

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