【古典文法】助動詞その五【ちょっとだけ、「む」の練習】

投稿日:

 こんばんは、しめじです。

 今夜は、助動詞「む」の、用法の識別の練習をしましょう。

 一応、前回、前々回の記事のリンクも貼っておきます。

↑活用形、接続などの基本的な内容について書いてある方。
↑用法について、やや詳しく書いてある方。

 では、早速やってみましょう。今回は、そのまま解答までいこうと思います。

(ブログという媒体である以上、本来なら別ページに分けた方が閲覧数増えるからいいのかもしれませんが、そんな閲覧数稼ぎとか気にするほど大々的にやっているものでもないですからね。あと、個人的にページを分割するやり方が嫌いです。最近、そういうサイト増えてきましたよね。どうでもいいことをだらだらと書いて、たいした尺でも無い話を30ページくらいに分割して閲覧数稼いでいるの。ちなみに、そういう記事の内容を140字の1ツイートにまとめてくださっているアカウントがあって、そちらはとても優れていると思います)

 ただ、解く前に一応補足しておくと、練習問題なので全て短文です。実際は、長い文章の意味を捉える必要があります。

 従って、今回は、答えとするのであれば〇〇か△△、というように、複数を正解として挙げる問題があります。前後の情報が少ない短文の問題だと、なかなか一つに絞ることができないからです。

 今夜は、「む」についてやってみましょう。

目次

  1. 問:次の短文の「む」の用法を答えなさい。
  2. 解答

問:次の短文の「む」の用法を答えなさい。

1 我こそ死なとて泣きののしること、いと堪へがたげなり/竹取物語
(泣きののしる…泣きわめく、堪へがたげ…こらえられない)

2 弓矢を取り立てとすれども、手に力もなくなりて/竹取物語
(取り立て…取り上げる、〜とすれども…とするけれど)

3 (合戦で一騎討ちをする相手に対して)「日頃は音にも聞きつら、(以下略)」/平家物語
(音にも…評判に・噂に、聞きつる…聞いている)

4 ひがひがしから人の仰らるること/徒然草
(ひがひがし…風流がわからない、仰らるること…おっしゃること)

5 ひとり歩か身は心すべきことにこそ/徒然草
(ひとり歩く…一人歩きをする、心すべきことにこそ…気を付けなればならないことだと)

<解答>

1 意志or推量。

 訳に当てはめてみましょう。
 「私は死(  )と泣き喚いている様子は、まことに耐えられない」
 昨日の原則にしたがって、意志を入れてみると、
 「私は死のうと泣き喚いている様子は、まことに耐えられない」
 となって、文が成立します。よほど辛いことがあって、死を決意して泣き喚く人という意味が成立しますね。

 ただ、「死」は自分の意志でコントロールできないことの方が多い現象なので、推量も入れることができます。
「私は死ぬだろうと泣き喚いている様子は…」となります。
 こちらは、自分に迫り来る死を自覚して泣き喚く人、といったところでしょうか。

 両者、全く文脈が異なるので、実際にどちらが入るのかは前後をもっと読まないと絞りきれませんが、これだけの情報量しかない場合は、この二つのいずれかかなと判断することになると思います。
 残りは入らない、もしくは不自然ですね。

 ちなみに、実際の本文を見ると、この「む」は意志だとわかります。
 竹取物語の、姫が実は月の人間で、帰らなければならない時が迫っていることを、育ててくれた老夫婦に打ち明ける場面の、翁の一言です。小さな小さな姫を、ここまで大きく育てて来て、どうして月からの迎えの者なんぞ迎え入れられるか、と嘆く場面ですね。

2 意志

 これも訳に入れてみます。
 「弓を取り上げ(  )とするが、手に力が入らず」
 となります。
 色々自分で入れてみてください。
 「弓を取り上げようとするが、手に力が入らず」
 となるかと思います。
 落ち着いて考えれば、「弓を取り上げようとしている人」自身の動作でしょうから、主語が自分なのでまず意志から考えていけばOKです。

 あと、一個覚えておいて欲しいのが、「と」の前は一回文が終わっているということです。

 例えば、

明日は晴れてくれよと思った。

という文があるとすれば、この文は、

「明日は晴れてくれよ」と思った。

と同じです。
 「〜と思った」「〜と言った」「〜と書いた」「〜と答えた」、いろいろありますが、こういう「と」の前は、一度文が終わっていますね。

 ですので、こういう「と」の前は、終止形などの文が終わる時の活用形になります。
 なお、この「と」は、格助詞(かくじょし)という種類の助詞です。用法はいくつかありますが、その中の一つとしてこのようなものがあります。この用法は「引用」と呼ばれています。

3 推量

 合戦の相手に対してなので、「噂に聞いている」のも相手。
 と考えれば、まずは推量を入れてみるところから始めます。

 「日頃評判は聞いているだろう」と呼びかけていることになりますね。

4、5 婉曲

 文の途中の連体形は、婉曲というのが原則です。(一部例外もありますが、まずはこっちを先に覚えてください)

 それを踏まえて見てみると、4は「人」の前、5は「身」の前で、どちらも名詞の直前なので連体形ですね。

 なので、これらは共に婉曲だと判断します。

 ちなみに婉曲の「〜ような」を入れて訳してみると、

4 風流がわからないような人がおっしゃること
5 一人歩きをするような身は気をつけなければならないことだと

 となります。自然な訳ですね。
 加えて、昨日も書きましたが、婉曲の「む」は訳さなくても良いという点にも注目です。この二つも、「ような」を省いても全く文の意味が変わらないことがわかると思います。

 ということは、その「む」を省いても文の内容や意味が変わらない場合は婉曲の可能性が高いということです。古文を読むのに慣れてきたら、こういうところから判断してもいいかもしれません。

 では、今夜はこの辺で。

1件のコメント 追加

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中