【オトコク】今も生きている古典文法【情けは人の為ならず】

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こんばんは、しめじです。

目次

  1. 「オトナコクゴ」で本当にやってみたいこと。
  2. 「情けは人のためならず」、じゃあ、誰のため?
  3. ポイントは、断定の助動詞「なり」

「オトナコクゴ」で本当にやってみたいこと。

たまに頭につけている「オトコク」。

一応、意味は「大人の国語」。
高校の国語なんかで習ったことって、大抵の場合は忘れてしまうもの。

なぜなら、趣味じゃない限り古文なんて読まないし、趣味じゃない限り文学なんて読まないし、多少てにをはぐちゃぐちゃでも、多少言葉の意味が間違っていても通じるし、漢字はパソコンやスマホが変換してくれるから。

でも、大人になって、学生の頃よりもさらに多くの言語体験を重ねてきたからこそ、「今あらためて聞いたら面白いこと」って、きっとあるはず。

高校生の時は、意味がわからないまま通り過ぎていった物事も、後になって「こういう意味だったのかあ」と唐突に腑に落ちるようなことが、きっとあるはず。

誰に、何が響くかなんてわからないけれど、どれか一つが、「大人」の誰かに響いたらいいなあ、などという、あてのない祈りのようなものです。

というわけで、今夜は、古典の授業で習ったはずだけど、忘れてしまった人が多いから意味が誤解されがちな言葉を一つ、紹介しようと思います。
(尤も、何かしら能動的な手段でこんなブログに辿り着くような方は、とうの昔にとっくに理解している事柄かもしれませんが)

「情けは人のためならず」、じゃあ、誰のため?

「情けは人のためならず」ということわざ。

「本来の意味から誤解されている言葉ランキング」を作ったら上位にくる言葉である、ということは、ご存知の方も多いと思います。

そこから繋がって、本当の意味は「人にかけた情けは、回り回って自分に返ってくる」というものだ、ということも、ご存知の方が多いと思います。

ところで、「なぜそういう意味になるのか」ということについては、ちゃんとご存知でしょうか

今夜は、なぜ「情けは人のためならず」が、「人にかけた情けは、回り回って自分に返ってくる」という意味になるのか、お話ししてみようと思います。

ポイントは、断定の助動詞「なり」

このことわざの最大の誤解ポイントは、間違いなく「ならず」の解釈です。

動詞「成る」未然形と、打消の助動詞「ず」終止形の組み合わせだと判断されがちです。

そのように解釈すると、「情けは人のためにならない」わけです。これが、よくある誤解の正体。

でも、この「なら」は、動詞「成る」の未然形ではありません。

断定の助動詞「なり」の未然形です。

断定の助動詞「なり」は、今の日本語でいうと「〜だ、〜である」
したがって、「〜ならず」は「〜ではない」というような意味になります。

ということは、「情けは人のためならず」は、「情けは人のためではない」ということです。
では、誰のためなのか? 自分のためなんだよ、というわけです。

だから、「情けは人のためにかけるものではなく、回り回ってその情けが自分に返ってくるんだよ、だから、未来の自分のために、他人に情けをかけなさい」という意味になるんですね。

では、今夜はこの辺で。

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