評論文の覚書②

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 こんばんは、しめじです。

 今夜は、評論文の読み方の最後の回にしたいと思います。

 前編、中編と、「テーマ」の探し方についてお話をしてきました。

 三回に分けて書くうちの二回を使ったわけですが、それくらい、「テーマ」をちゃんと見つけ出すって大切なことなんです。
(そもそも二回に分けて書くつもりだったのが、三回に増えてしまったくらいです)

 で、今夜は、その肝腎要の「テーマ」を見つけたあとどうするのか、ということについて書こうと思います。

目次

  1. 「テーマ」は「評」だ の主語述語を早く作る。
  2. 残りのパーツは何のため?
  3. 「具体例」は「わかってしまう」からこそ注意深く読む。

「テーマ」は「評」だ の主語述語を早く作る。

 もちろん、評論文はあくまでその筆者の「評」、つまりは主張を中心とした文章ですから、どれだけ早くテーマを見つけられても、正しい「評」を見つけないと話になりません。

 ですので、まずは、

「テーマ」は「評」だ。

という主語述語の文を作ることを意識してみてください。

 例えば、前半を読んだ段階で、

本を読むことの価値

がテーマだとすれば、その評論文は、

本を読むことの価値は、〇〇○だ。

という文になります。

 それが、

本を読むことの価値は、新しい自分との出会いだ。なのか、
本を読むことの価値は、他者との経験の共有だ。なのか、
本を読むことの価値は、自分の無知と向き合うことだ。なのか、

 一体どうなるのかはわかりません。
 でも、主語はもう決まっています。

 例えば二千文字であろうが、センター試験のように五千文字以上あろうが、それを説明し、納得してもらうためのパーツの集合です。
(むしろ、文筆家の力量はそこにこそ現れる部分もあるでしょう)

 ちなみに、文の構造によっては、「評」が先に出てきている場合があります。

 例えば、評論文の前半が、「人間は共通の経験を持った人と、安心して連帯するという習性を持つ」というような話が続いて、文章の後半に「本を読む、ということの価値は、まさにそういった点にある」と書かれていたとしたら、先に「評」、あとに「テーマ」という順序で書かれていると判断できます。

 なので、「評」は「テーマ」のあとだ、という思い込みは捨てて、「テーマ」が見定められた時点で、そこまでに「評」が無かったかどうかは、ちょっと考える必要があります

残りのパーツは何のため?

 何文字の評論文であっても、入試や模試に出てくる程度の文量であれば、要約を突き詰めると、「テーマ」は「評」だ、というシンプルな一文に集約されてしまうことがほとんどです。

 だったら、残りのパーツは何のためにあるのか、という話なんですが。

 これらはすべて、その「評」を納得してもらうためのものです。

 でも、その中でも役割は細分化していて、そのうちのいくつかの例を挙げると、

・「評」の意味、意図を説明する。(説明)
・その「評」にまつわる事実関係を説明する。(背景)
・その「評」が、妥当であることを説明する。(理由、根拠)
・さらに、その「評」が、どんな読者にとっても同じく妥当であることを説明する。(具体例)

などとなります。

 もちろん、法律で決まっている分類でもなんでもないので、他にもたくさんあると思いますし、人によって分け方のイメージは異なってくると思います。
あくまで、一例です。

 一つ目は、抽象的な「評」などであれば、大抵必要となってきます。

 例えば、

これからの私たちに必要なのは、「地球市民の視点」だ。

 という「テーマ−評」があったとしたら、「地球市民の視点」って、どういう意味かわかりますか?
 まあ、全くわからない、ということはないと思います。
 とくに、受験生や、日頃から教養的な書籍を読む人であれば、むしろ使い古されたくらいの言語イメージです。

 でも、正確に、筆者がどういう意味で言っているかを、自分の言葉に置き換えて言語化しようと思うと、どうもおぼつかないですよね。

 そういう、抽象的なキーワードは、大抵説明が付されます。筆者にとっての「地球市民の視点」とは、どのような視点なのか、大抵説明があります。それも、わりと近くの場合が多いです。

 そっくりそのまま、現代文のテストで、

問1 波線部A「地球市民の視点」とは、どのような考え方をさすか、本文中の語句を用いて三五字以内で説明せよ。

なんて問題が出そうです。(というか、そういうのを出すんです)

 当然、何かを主張する以上は、理由とその根拠が必要です。
 理由も根拠もない主張はただの思いつきです。

 ちなみに、「理由」と「根拠」も分けて考える必要があります。
「根拠」は、「その理由が妥当である理由」です。

 たとえば、

明日の体育祭は中止だと思う。

という主張があったとします。

 その理由は、

明日は降水確率90パーセントだし、すでに雨が降っているからだ。

です。

 でも、でも、極端な例ですが、もしもその学校が、意地でも体育祭を雨天決行する学校かもしれません。グランドが無理なら体育館で、みたいな学校かもしれません。
だから、根拠として、

事実、去年の体育祭も雨だったが、中止になっている。

というような事柄が必要なわけです。

 ここまで言われれば、どんなにひねくれた人も、「まあ、じゃあ中止なんだろう」と思うでしょう。
(「校長が変わって方針が変わったかもよ?」とまでひねくれてくる人もたまにはいますが、すべてを相手にしていても仕方ないですからね)

「具体例」は「わかってしまう」からこそ注意深く読む。

 そして、最後の「具体例」は、これはまあとにかく様々な役割で使われます。

 抽象的なキーワードを説明する時にも使えますし、背景の説明にも使えますし、根拠を示すのにも使えます。

 だから頻繁に出てきます。高校の教科書や入試レベルの文章であれば、評論文の字数の半分ほどが具体例、などというのはよくある話です。
 場合によっては、形式段落が20あるうち、具体例ではないのが途中と最後の2段落だけ、なんてこともあります。

 そして、「具体例」ってわかりやすい。読んで、すーっと入っていく気がします。
 でも、だからこそ気をつけて読む必要があります

 よくあるのが、「具体例の意味を勝手に解釈してしまって、本文の展開や論理構造から外れるパターン」です。

 模試や入試でも、「この具体例は、どのようなことを示しているか、説明せよ」という問題が出てくることはありますが、これも、具体例を勝手に読み違えていないかを確かめるための設問です。

 例えば、次の文をみてください。

国語教師のしめじが好きなお菓子は、どら焼き、鯛焼き、白玉ぜんざいだ。

さて、この「好きなお菓子の具体例」、何を言いたいんでしょうか。

・甘いお菓子と塩気のあるお菓子なら、甘いお菓子が好きだ。
・和菓子が好きだ。
・あんことデンプンの組み合わせが好きだ。

ぱっと思いつくだけでも、三つくらい可能性が出てきます。

 つまり、具体例は、それ単体だと、何を読者に伝えたいのかを一つに絞りにくいという性質があるんです。

 だったらどうすればいいのか。
 大丈夫です。本文には、「その具体例で何を伝えたいか」が大抵ちゃんと書いてあります
大体は、具体例の直前もしくは直後です。あまり離れたところにあることはありません(だってわかりにくいですから)。

 また、直後にある場合は、具体例がつらつらと書かれたあとに、
 「このように」
などの言葉で、その具体例で言いたいことをまとめてある場合が多いです。

 国語の先生が授業で「このように」のあとは大事だよーと言っているのを聞いたことがある人も多いと思いますが、「このように」の後が大事なのは、そういう理由です。
(余談ですが、Twitterの炎上などは、「その出来事から何が言いたいのか」を書かなかったせいで、見た人がそれぞれ勝手に解釈したから発生している場合がありますね)

 というわけで、これが全てではありませんが、評論文を読む上で基本的に意識しておきたいことを書き並べてみました。

 もしも、受験勉強などの参考になれば幸いです。

 では、今夜はこの辺で。

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