【オトコク】現代文って難しい?③

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 こんにちは、しめじです。

 ちょっと前から、現代文についてお話をしています。


 一つ目は、現代文はなぜ難しいと感じてしまうのか、二つ目は、現代文はなぜ勉強しにくいように感じるのか、というお話でした。

 今回は、三つ目、ここから現代文を伸ばすことはそもそも不可能なのか、ということについて、私自身の考えをお話ししていきたいと思います。

結論:伸ばせる。ただしもちろん努力は必要。

 伸ばすことは可能だろうと、私は思います。

 もちろん、前回や前々回でもお話しした通り、現代文は私たちの日常生活で用いられている言語と使う領域が被っている部分が大きいので、そもそもの語彙や言語体験の豊かさに学力が影響を受けるのは事実です。

 でもそれは、実際は他の科目も同様。
 現代文だけ、やけに日常的な思考と切り離しにくいので、その影響の大きさがモロに出ているように感じられてしまいます。

 ただ、だからといって、じゃあ今まで本読んでなかった人は諦めましょうとか、センスがない人はこれ以上伸びませんとか、そういうことかと言われると、そうでもありません。
(そもそも、もしそうなら高3に現代文の授業はいらない、ということになってしまいます)

「できる」「できない」に仕分けられないなら、それとは関係ないことを勉強すればいいじゃない。

 さて、国語の勉強がなんでしにくいかというと、「できる」「できない」の仕分けがしにくいから、というのは前回お話しした通りです。

 であるならば、それを無理にできる/できないに仕分けて勉強していく必要があるかというと、実際のところそうでもなかろうと思います。

 なぜなら、本文によってできる時とできない時の差が顕著だから。

 ということは、どのような本文でもできない、というケースは極めて稀だと言うことです。

 例えば、どんな文章を読んでも主語と述語がつかめない、どんな文を書いても捻れる、どんな文章を読んでも書いても抽象的な内容を具体的に言い換えられない、そんなことはあり得ないわけです。

 数学であれば、例えばそもそも三次方程式の解き方を学んだことがなければ、ワークの最初の簡単な問題も解けません。
 それはもう自分ができるようになる以外対処方法はありません。

 しかし、現代文にはそれがありません。簡単であれば、基本的には誰でもできる、ということになります。難度が上がっていった時、どこからできなくなるかの差が、現代文の学力の差です。

 ということは、基本的には自分が読解すべき本文を、自分が読み解けるレベルに自力で落とす、自分が書く記述答案を、自分が無理せず書きやすいように組み立てる、という方法を勉強していけばいい、と言うことだと思います。

 別に今から、長い文章における論理展開の仕組みとか、主語と述語の見抜き方とか、助詞の使い方とか、そんなことを勉強する必要はありません。
 大抵、すでに出来ています。簡単な問題なら意識しなくてもできてしまうんです。ですから、今更それを勉強し始めたところで、「わかってるよそんなこと!」となるだけです。

 したがって、これから先、ワークやら何やらで現代文を勉強する時、どんなことを意識して、練習していけばいいか、私が思うことをお話ししていきます。

話の趣旨をつかむ方法の一つ:文を短くしてしまう。

 では、具体的な方策のうち、割と簡単にトレーニングできそうなことを一つお話ししてみます。

 基本的に、文は長ければ長いほど理解しにくく、イメージしにくくなります。

 例えば小論文の練習などをしていると、参考書に「一文を長くしすぎないように」と書かれていることが多いです。
 プロのライターさんも、一文40字程度を心がける方が多いみたいです。

 ということは、一文にさまざまな要素が詰め込まれた評論文ですが、その一文一文を短くしてしまえれば、読むのが簡単になるのではないでしょうか。

 例えば、①でも引用したアリストテレスの文章。

存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもを研究する一つの学がある。
この学は、いわゆる部分的(特殊的)諸学のうちのいずれの一つとも同じものではない。というのは、他の諸学のどの一つも、存在を存在として一般的に考察しないで、ただそれのある部分を抽出し、これについてこれに付帯する属性を研究しているだけだからである。たとえば、数学的諸学がそうである。さて、我々が原理を尋ね最高の原因を求めているからには、明らかにそれらはある自然(実在)の原因としてそれ自体で存在するものでなければならない。(「形而上学」)

こちら。
 抽象的すぎてイマイチ何いってるかわかりませんが、これを高校の現代文で普通に習うレトリックの知識を使って短くして、レベルを下げてみましょう。

まずは一文目。

存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもを研究する一つの学がある。

 「また」がありますから、その前後は同じものごとについて述べています。この場合は、どちらも「学(学問)」の説明です。

 ですから、

存在を存在として研究する学問がある。
これに自体的に属するものどもを研究する学問がある。

となります。

 「存在を存在として研究する学問」という短い語句にしてしまえば、なんとなく「それをまるっとまるごと、そのまま研究する学問なのかな」程度には噛み砕きやすくなるのではないでしょうか。

 そして、この両者を比べると、(「自体的に」は聴き慣れない単語ですが)実は大体同じことを言っていることもわかります。

その存在を、その存在のまままるごと研究する。
そのものそれ自体に属する物事たちについて研究する。

 どちらも、研究する対象そのものをそのまま研究するというようなことを言っていることには変わりありませんね。

つづいて二文目。

この学は、いわゆる部分的(特殊的)諸学のうちのいずれの一つとも同じものではない。

 「一つとも同じものではない」は、否定を使った強調です。つまり、「一つとも同じものではない」ということは、「どれとも違う、オンリーワンだ」ということです。

 というわけで、「いわゆる」とか「(特殊的)」とかも省いてみると、

この学問は、部分的学問のどれとも違う。

となります。

三文目と四文目。

というのは、他の諸学のどの一つも、存在を存在として一般的に考察しないで、ただそれのある部分を抽出し、これについてこれに付帯する属性を研究しているだけだからである。たとえば、数学的諸学がそうである。

 ここでは、「AではなくBだ」のレトリックに注目しましょう。

 この場合は、基本的にはBだけ残せば十分です。
(例:「明日雨が降ったら、体育祭は延期ではなく、中止だ」とあれば、言いたいことは「明日雨が降ったら体育祭は中止だ」です) 

 「というのは、」はここでは理由の説明ですね。「なぜなら」とかとほぼ同じ意味です。

 なので、この三、四文目は

なぜなら、他の学問は、それのある部分を引き出し、それに付帯する属性を研究しているだけだからある。たとえば、数学がそうだ。

 という感じにできます。
 こうまとめてみると、なんとなく言いたいことは見えてきます。

 例えば数学であれば、数や自然のあり方そのもの全てをまとめて研究対象にするのではなく、たくさんある数の性質や法則の一つ一つを取り出して研究している、そう言いたいのかなと考えやすくなります。

 最後、五文目。

さて、我々が原理を尋ね最高の原因を求めているからには、明らかにそれらはある自然(実在)の原因としてそれ自体で存在するものでなければならない。

 これは特にレトリックは使われていません。

 ただし、「明らかに〜でなければならない」とあるので、とりあえずこれが一番言いたいことなんだろう、見落としちゃいけないことなんだろう、とはわかります。

 また、「原理を尋ねる」「最高の原因を求める」は、概ね同じような意味のことを言っているというのはわかります。なので、片方だけ残してみましょう。

我々が原理を尋ねているからには、明らかにそれらはそれ自体として存在するものでなければならない。

全部繋げてみると、

存在を存在として研究する学問がある。
この学問は、部分的学問のどれとも違う。
なぜなら、他の学問は、それのある部分を引き出し、それに付帯する属性を研究しているだけだからである。たとえば、数学がそうだ。
我々が原理を尋ねているからには、明らかにそれらはそれ自体として存在するものでなければならない。

 いかがでしょうか。元のものよりは言いたいことがわかりやすくなった、イメージしやすくなるのではないかと思うのですが。

 アリストテレスの書いたものだということや、タイトルが「形而上学」とあることを考えれば、「この学問」は哲学や形而上学だというのは容易にわかります。
(形而上学が聴き慣れなければ、哲学で置き換えてもここでは致命的なイメージのズレにはなりません。あくまで高校現代文の評論レベルの捉え方で構わないので。超厳密に語を定義して用いる哲学とは別です)

 一部分を切り取るんじゃなくて、その存在そのものを研究するのが哲学(形而上学)だよ、という感じの内容です。

 もとの文をそのまま読むより、一文一文を短くまとめていったものの方が、簡単に理解でき るように思いませんか。
 今回は一文一文レベルで短くしてみましたが、長い文章そのものをまとめていく作業は「要約」と呼ばれます。

 要約しなさいと言う問題じゃなくても、なんとなく頭で要約するつもりで読んでいく。
 長くて理解しにくい文は、短く考えてみる、そういう意識を常に持ってこれから読んでいけば、抽象度の高い文章でもすこしは読みやすくなるのではないでしょうか。

 というわけで、本当はもう一つ書きたいのですが、長くなったので続きはまた今度にします。

 では、今回はこの辺で。

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