【オトコク】現代文って難しい?②

投稿日:

 こんばんは、しめじです。

 前回から、「現代文ってなんで難しいの? どう勉強したらいいの?」みたいな話をしています。
(とはいえ、具体的なテクニックというよりは、そもそもの「現代文」という科目の性質についてお話しているのですが)

 上にも貼りましたが、まず前回は、なぜ現代文は難しいのかという話をしました。

 簡単にまとめると、「抽象度が高いから」ということになります。

 つまり、その文がつまりどういうことを言っているのか、自分の経験とか身近な例とかを思い浮かべて理解することが難しいということです。

 では、今夜は、

なぜ、現代文は「できるようになった」感覚が無く、どう勉強したらいいかもわかりにくいのか。

についてお話していこうと思います。

なぜ現代文は「勉強しにくいのか」

1.できる、できないの仕分けが極端にやりづらい。

 なぜって、現代文は勉強しにくい科目だからです。
(前回も同じようなことを言いましたね)

 そもそも、勉強って、問題演習などを通して「できる」と「できない」を仕分けして、「できない」を「できる」に変えていく作業です。

 言い換えれば、何が「できない」のかを自分ではっきりと理解できない限り、いつまでたっても先に進まない、ということになります。

現代文は、このできる/できないの仕分けが、極端にやりづらい。

 例えば、数学であれば、○○の定理をちゃんと覚えていないからこの計算が出来なかったとか、三次関数になると途端にできなくなるとか、割とはっきりわかります。
 英語なら、完了形が苦手とか、イディオム覚えてないなとか、割とはっきりわかります。
 他の科目も大体そうです。何ができていないから、何がわかっていないから、何をおぼえていないから、その問題を間違えたのか、割とわかりやすい。

 古典でも、助動詞が、とか、「に」の識別が、とか、漢文の抑揚形覚えてない、とか、はっきりわかります。
 迂遠な作業かもしれませんが、一つずつ丁寧につぶしていけば、いずれできることが明確に増えていく。

 ところが、現代文はそうはいかないことが多い。

 たとえば、記述の問題を解いたとして、その答えを見ます。
 多分満点ではなさそうだ、というところまで分かったとして、

・何ができていて、何ができていないのか分からない。
・「何が」という風な、要素をどう分ければいいかも分からない。
・要素を分けることが仮にできたとして、それをできたかできなかったのかが分からない。

という感じになってしまうことはとても多いです。
 模試の自己採点とかも、そうだったのではないでしょうか。

 国語の記述問題、自分の答案が10点中5点なのか6点なのか7点なのか8点なのか、わからないですよね。

 ということは、現代文という科目は、自分で「できる」「できない」を仕分けすることが非常に困難だ、ということです。

2 採点されたものを見ても、何が「できていなかったのか」わかりづらい。


 また、大学入試の問題みたいな、「傍線部A-とは、どういうことか、説明せよ」というタイプの問題は、採点を要素加点で行うことが多いです。

 ○○が書けていれば3点、△△が書けていれば2点、□□が書けていれば2点、△△と□□が逆接でつながっていればもう2点、合計9点、というような採点方法。

 これって、例えば主語述語を正確に見つけるとか、文をねじれさせずに書くとか、抽象的な表現を具体的な表現に言い換えるとか、いわゆる現代文の「能力」とは全く別のところに点数を与える評価方法です。

 例えば数学なら、この公式を使ってここまで計算していたら3点、この条件が書けていれば2点、というように、配点と能力が概ね一致します。
でも、国語はそうはいかない。

 主語と述語が正確で、文のねじれがなく、抽象的な表現を具体的な表現に言い換えてあっても、そもそも内容の違う文なんていくらでも書けてしまいます。
 発揮できた能力だけに点数を与えても、それはやはり現代文の記述答案の評価にはならない。

 しかも都合の悪いことに、数学はその公式を使うしかほとんど解きようがない、他の解き方を見つけ出すのは普通は無理、みたいな問題が多いですが、現代文ってどうにでもなってしまいます。

 例えば設問が、抽象的な表現を具体的な表現に言いかえることが出来るかを試す意図で作られたものだったとしても、抽象的な部分を抽象的なまま、それでも文句なしの記述答案にできてしまうことが多々あります。
 言葉なので、表現の幅、解答の幅はどうしても大きくなりますからね。

 というような理由で、実は現代文の採点をどれだけ眺めても、それで自分が「何ができて、何ができないのか」を把握するのは困難です。

 もっと言えば、この問題ではできていたけど別の問題ではできなかった、というケースもたくさんあるので、「できる」とも「できない」と言い切れないこともたくさんあります。

 だから、現代文はいつまでたっても「できる」「できない」を仕分けることが難しい。
「できない」を見つけることができないから、何を勉強すればいいか分からない。

 普段から使っている言葉を用いるという科目の性質上、どうしてもこの悪循環を避けられません。
 だから、現代文って何をどう勉強すればいいか悩むんですね。

 というわけで、次回は出来れば、そんな中でも少しでも現代文の勉強の方法の参考になるようなお話ができればと思います。

 では、今夜はこの辺で。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中