令和3年1月共通テスト国語の簡単な解説② 第1問(評論)問5〜問7

こんばんは、しめじです。

今夜は、前回の続き。

共通テストの大問1(評論)の、答えの探し方なんかを書いていきます。
ネットでぱっと検索をかけても、答えの番号と概評しか見つからないので、もしよければ参考にしてください。

あと、問題と解答番号も一応リンクを貼っておきます。

目次

  1. 問5(ⅰ) 本文をまとめたノートの空欄補充
  2. 問5(ⅱ) 妖怪観の変遷についての空欄補充
  3. 問5(ⅲ) 芥川龍之介「歯車」の一節との照応

問5(ⅰ) 本文をまとめたノートの空欄補充

さて、というわけでここからが「共通テスト」の新機軸、ということになります。

評論では、学習者が「まとめた」ノートの空欄を埋めていく、という作業が出題されました。
試行問題を見る限り、もっと複数のテキストを組み合わせて、それぞれの文脈を織り合わせて解答を考える問題が出るのかと思っていましたが、このような状況での第一回ですから、やや無難な、言い方を変えれば簡単な、そういう出題になっているように思います。

まず、これらの問題を解く上で留意したいのは、国語における「理解」は、「本文の理解」と「設題の理解」の二つの柱があるということです。

本文の理解は、そのまま。
提示された、最初に「読め」と言われた本文に、何が、どんなふうに書いてあるかを理解する、ということです。

設題の理解、とは、要するに「何を聞かれているのか、何を答えればよいのか」をきちんと把握する、ということです。

国語の採点をずっとやっていると、こっちが弱い、半端なまま、本文から読み取れたことを一生懸命答えてくれる人に出会います。
でも、残念ながら、「聞いてるのはそういうことじゃないよー」となることもまた多いです。

今までは、「どういうことですか」とか、「なぜですか」みたいに、はっきりと何を答えてほしいのかを書いてくれている問題が多かったわけですが、複数テキストを横断する今後の試験においては、「要するに何を答えろって言っているのか」を、早く正確に掴む、というのもますます重要な読解力の柱になりそうです。

さて、ではこの問題。

段落2と段落3、段落4と段落5に、それぞれ「見出し」をつけたから、それとして適切なものを選べ、と言ってきています。

「見出し」ですから、内容を端的に示すフレーズ、ということです。
つまり、「ざっくりとどういう内容の段落なのか答えろ」という出題だ、と解釈することができます。

では、まず段落2と段落3を見ていきます。

段落2を見てみると、「確かに、」という譲歩から話が始まります。そして、段落の最後に「つまり」でつないで

フィクションとしての妖怪という領域自体が歴史性を帯びたものなのである。

とありますから、我々が今日思い浮かべる妖怪に近い、フィクションの存在としての妖怪が描かれるようになるのは歴史的には近世中期(江戸時代中頃)だから、妖怪っていうジャンル自体が結構歴史的背景を持ってるんだよー、ということが書かれています。

そして、段落3は「妖怪はそもそも」とありますから、この段落はその「歴史的背景」、つまり近世中期になるまでのもともとの妖怪の姿(扱われ方)を示していると読み取れます。

というわけで、段落2と段落3は、妖怪が持つ歴史的背景、歴史的経緯について説明されていると理解できますね。

続いて段落4と段落5です。

段落5に、

妖怪に対する認識がどのように変容したのか。そしてそれは、いかなる歴史的背景から生じたのか。本書ではそのような問に対する答えを(中略)探っていこうと思う。

とありますから、このあと何を書くのかの宣言文になっています。
で、「〜なのか」を繰り返しているので、明らかに問題提起の形をとっています。

というわけで、空欄Aには、妖怪の歴史的背景や歴史的経緯。
空欄Bには、妖怪観の変容についての問題提起が入ると
わかります。

当てはまる選択肢を探すと、④が答えだとわかります。
③も一瞬悩むかもしれませんが、段落3で説明されているのは娯楽の対象になる前の、「そもそもの」妖怪の説明ですので、③は外せますね。

問5(ⅱ) 妖怪観の変遷についての空欄補充

またしても空欄補充です。
問題で示された「ノート2」を見ると、

近世と近代の妖怪観の違いの背景には

とありますので、読むべきは近世について触れている段落12〜14、近代について触れている段落15以降だとわかります。間違ってもその前の段落を読まないように気をつけたいところです(中世ですからね)

まずは、近世。

ノート2に、

近世には、人間によって作り出された(空欄Ⅲ)が現れた。

とあるので、「人間によって作り出された」がヒントになります。
段落12〜14で、人間に作り出された、といえば、「表象」でしたね。つまり、神霊の言葉を預かる妖怪から、人間によって生み出され、人間によってコントロールされる、娯楽の対象としての妖怪

これが書かれている選択肢を探すと、ちょうど③が当てはまります。
④も怪しいですが、実は「人を化かす」という話は全くしていないので、④と③なら③が正解でしょう。

近代については、段落16、17を見てみましょう。

「内面」というコントロール不可能な部分を抱えた存在として認識されるようになったのだ。かつて「表象」としてフィクショナルな領域に囲い込まれていた妖怪たちは、今度は「人間」そのものの内部に棲みつくようになったのである。
そして、こうした認識とともに生み出されたのが、「私」という近代に特有の思想であった。謎めいた「内面」を抱え込んでしまったことで、「私」は私にとって「不気味なもの」となり、

というわけで、人間内部に棲み着く「妖怪」=コントロール不可能な、不気味な「私」という図式が成立しています。

これは、選択肢④に当てはまりますね。

問5(ⅲ) 芥川龍之介「歯車」の一節との照応

ここで、近代の小説として、芥川の「歯車」が引用されます。

内容としては、自分のドッペルゲンガーを見たという人物に会い、死ぬのは第二の僕かもしれない、と思うというもの。

ノート中に「近代において「私」が私にとって「不気味なもの」となったということが書かれていた」「ドッペルゲンガーや自己分裂を主題とした小説が数多く発表された」とあることを踏まえると、このノートで示された「僕」の自己像に対して当てはまる解釈としては、自身のゆらぎ、自己の内面への不信だとわかります。

これに該当するのは②と⑤。ですが、⑤は「うわさされることに困惑」している場面ではないですので、残るは②ですね。

以上となります。
では、今夜はこの辺で。

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