【オトコク】現役国語教師が好き放題語る「山月記」 その肆。

投稿日:

その壱はこちら。

その弍はこちら。

その参はこちら。

こんばんは。しめじです。
今夜は、「山月記」の最終回にしたいと思います。

もちろん、今日は共通テストだったわけですが、まだ私は問題をみることができていないので、それについては明日以降触れることができれば、と思います。

今夜は、中島敦が「山月記」を書くにあたって下敷きにしたとされる、中国の古典小説についてお話ししようと思います。

6「人虎伝」とは?

何度も書きましたが、この「山月記」は、中国の古典小説である「人虎伝」が下敷きになっています。

厳密には、小説というよりは説話であり、明代の説話集「古今説海」など複数の書物に収録されていることが確認されています。
(「人虎伝」という題ではなく、「李徴」という題で収められているものもあるのだそうですが)

ちなみにWikipediaには、清代の説話集「唐人説薈」に載っていたのを読んだ、と書かれています。
また、説話ですから、話そのものの作者は不詳です。

7「人虎伝」と「山月記」の違い

人虎伝のざっくりしたあらすじを書いておきます。

李徴という、虢略に居を構える皇族の子がいた。十五ですでにすぐれた詩を書き、勧めによって二十で進士に登第、江南尉の職に就く。李徴を知るものは彼を名士と呼んだ。
しかし、李徴の性格は荒々しく、また自分に対する自信が大変強かった。身分の低い職位に屈することが出来ず、鬱々として日々を過ごした。同僚との宴の席では、酒が進むと「お前らとは仲間になれない」と言い放ちつありさまで、同僚からはひどく憎まれていた。
任期満了後は退官、長閑な生活を続けるが、次第に生活が苦しくなり、東方(呉とか楚)に援助を求めることになる。
東方の国を離れ、また郷里である虢略に戻る際、多大な贈り物を受け取ったが、その道中のある晩、李徴は発狂する。
従者を鞭打つようになり、日に日にその性向は酷くなっていく。ついに十日ばかりしたある夜、闇の中に駆け出して行方は分からなくなってしまった。

さて、大体は同じです。
優れた才能を持つものの、驕った人格である李徴が、ある晩発狂して行方をくらます、という内容です。

「山月記」との違いとしては、
・李徴が退官したのは「詩家としての成功を目指して」ではないということ。
ここが一番大きいかと思います。この要素の追加が、「山月記」には絶対に必要だったということがあとでわかります。

翌年、観察御史の袁傪は、使者として嶺南に向かう。
道中、人食い虎が出るという忠告を退けて進んだところ、果たして一匹の虎に襲われるが、その虎は草むらに隠れいって人語で袁傪に語り掛ける。
互いに同じ年に進士に登第し、付き合いの深かった袁傪は、李徴との再会を大いに喜ぶ。李徴もまた、友との再会を喜び、且つ袁傪が順調に官吏として名を上げつつあることを祝福する。
袁傪は、なぜそうよそよそしく草叢から出てこないのか問うが、李徴が言うには、もはや自分は人間ではなくなっているとのこと。
それを聞いた袁傪は、李徴にその経緯を尋ねる。

ここは、本当に「山月記」も「人虎伝」も同じ内容です。強いていうなら、「人虎伝」の方が、会話の内容がしっかり書かれているくらいでしょうか。

李徴は言う。
東の国から戻る途中、何者かに呼ばれて走りだしたら、気づいたら虎になっていた。
山をかける野兎などの獣を食らっていたが、ある時、貴婦人を食らった。特別おいしく感じた。その貴婦人の髪飾りは今も岩の下に隠してある。それ以来、自分は人間も食らうようになった。このような獣になり果てて、もはや君に会うわけにはいかない。
また、李徴は言う。
心で結ばれた友である君に頼みがある。君が帰ったら、この手紙を持って私の妻子を尋ねてほしい。そして、私は死んだと伝えてほしい。今日のことは決して言ってはならない。そして、まだ一人で生きていく力の無い我が幼子を気にかけてやってほしい。
袁傪は答える。心で結ばれた君の子は、我が子同然だ。かならず報いよう。
そして李徴は続ける。
自分が人間だったころに作った詩が数十編ある。遺稿は散り散りになっているだろう。そのうち、まだ諳んじることが出来るものを書き留めておいてほしい。
袁傪はそれに応え、従者は李徴の詩を書き留める。そして李徴は、姿が虎となっても、中身は変わっていないことを示すため、即興の詩を詠む。

ここはかなり端折りましたが、だいたいこんな感じです。

「山月記」では別れの場面で交わされた会話が、「人虎伝」ではもう登場しています。しかも、一番初めのお願いとして妻子のことを挙げています。これは、「山月記」における李徴の人物造形を考える上でかなり大きな変更点ですね。

袁傪は尋ねる。
成程、君が変わらず知性と気品を保ち続けていることがよく分かった。であるから尚のこと、今のこの状況を悔しく感じているのではないだろうか。
李徴は答える。
元来、陰陽の織り成す物事には親疎厚薄の違いはないと考える。運命や巡り合わせについては、私は知る由もない。孔子も、かつてはこのことを嘆いていたのだ。
ただ、考えると、悔やまれることが一つある。今のこの自分の状況は、それに起因するのだろう。
人間だった頃、南陽の未亡人とひそかに交際していた。その未亡人の家族は私たちの関係を疎み、何かと邪魔をするようになり、私たちは会うことがかなわなくなった。そこである日、強い風に乗じて家に火を放ち、家族もろとも焼き殺してしまったのだ。今となっては、それが悔やまれてならない。
李徴は続ける。
使者の命を果たし、帰るときには、他の郡の道を選び、この道を通らないようにしてほしい。今日は心がはっきりしていたが、虎に酔いしれれば、君を襲い、この牙で噛み砕くだろう。前方百歩の山に登り振り返ればすべてが見渡せる。そこで私は虎の姿を君に見せよう。私の言った意味が分かるはずだ。
李徴と袁傪は別れの言葉を交わした。李徴の泣く声が聞こえた。言われた通り袁傪が山に登って振り返ると、林に一匹の虎が吠えるのを見た。谷が震えるようであった。

いかがでしょう。
非常に大きな違いがここにあるわけです。

「山月記」では、李徴が虎になった理由を、自分の内面に追求し続けたのに対し、「人虎伝」は一種の単純な因果応報譚となっています。

それ以外は、やはりほぼ同じ。クライマックスもおおむね同じです。

こうして下敷きとなった作品と読み比べると、作者が何をしたかったのか、何を描きたかったのかのか、というのが、より明確に伝わってくるように思いますね。

では、今夜はこの辺で。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中