【オトコク】現役国語教師が好き放題語る「羅生門」 その壱。

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こんばんは。しめじです。

今夜は、高校の国語の教科書に載っていて、読んだことがない人の方が少ないんじゃないかという作品について、一国語教師が好き勝手に語っていこうと思います。

まず、大前提として、今から私がする話は、私が勝手に考えていることであって、「指導書(=先生向けの資料集。時代背景など、自力で調べだすと収集つかなくなるものも、ある程度の情報量が載っていたり、授業での質問の例が載っていたり、定期テストのサンプル問題が載っている、すっごく高価な本)」の内容からは著しく逸脱した話もします。

中には、指導書も書いてあることと同じ(=授業で教師がする)話も含みますが、全部が全部鵜呑みにしてテストで書くと盛大に×される可能性が高いです。

さて、今夜は多分「読んだことある率」第一位に輝くであろう、芥川龍之介の「羅生門」について話をしてみようと思います。

内容を覚えていない方はこちら↓から。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html

無駄なパートがほんとに無い。

流石は中短編の名手。「芥川龍之介賞」に名が冠されているのも納得の凝縮具合です。

特にそれを強く感じるのは冒頭部。一気に羅生門の持つ、退廃した禍々しい空間に一気に引き摺り込まれます。

冒頭だけを抜粋すると、こんな感じ。

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災いがつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲すむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
 その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

いいですね。本当に秀逸な冒頭部です。

まず、時間設定などが完璧です。

季節は秋の暮れ。時間帯は夕刻。天気は雨。これ以上に「不穏」な組み合わせってないのではないでしょうか。もちろん真夜中だったらもっと怖いのですが、真夜中はあざといと言うか、リアリティにかけます。真夜中なら他に誰もいなくて当たり前になってしまいますから、約束された不吉さです。それでは味わいがない。

夕刻に、本来なら他の人も居そうなはずなのに下人一人しか居ない、とした方が、より下人の孤独が際立ちます。

この冒頭の情報だけで、少なくとも私たちはほぼ無意識に、不穏な空気に緊張するわけです。もしも

ある日の昼下がりのことである。一人の下人が、羅生門の下で春の日差しを浴びていた。

なんて書いてあれば、どう考えても不気味な老婆は出てきませんし、「悪」に寝返った下人が逃げていくこともないでしょう。

ちなみに平安を次々と災害が襲い、いよいよ荒んだのは平安後期です。これは方丈記などでわりと詳細に語られています。が、羅生門のモデルとなる羅城門が存在したのは10世紀末まで。方丈記に書かれている時代にはすでに羅城門は存在していませんでした。

ま、とは言え「羅生門」は小説、フィクションです。(そもそも、海外、例えば新羅などからの使節を迎えるために、都の門を豪華にした、という経緯もありますから、それが途絶えて以降は結構放置されていたのが実情だったようです。980年に倒壊、その後1004年にも再建が計画されたそうですが、結局頓挫。再建されることはなかったそうです)

その精神的な荒みようは、仏像を砕いて薪の料に売っていたあたりから強烈に伝わります。この時代において、人々に信仰を失わせるほどの荒廃です。これはまあ、多分授業でやった覚えがあると思います。

「狐狸が棲む」という一言も効いてますね。いいパンチです。今私たちが「狸や狐が住む」というと、荒れ果てた空き家に野生動物が住み着いている、程度の話かもしれませんが、平安における狐や狸が持つ意味合いは全く別です。

狸なんかはわかりやすいですね。狸が滑稽な存在として描かれるのは江戸時代以降。それ以前は、人を化かし、ひどい時には人を食らうこともある、妖しい力を持った妖怪としても描かれてきました。奈良時代にはすでに狸が人を化かす話が存在していましたし、宇治拾遺物語をはじめとした説話集の中にも数々登場します。

今日、私たちが「昔話」として親しむもののなかで、馴染み深いのは「かちかち山」でしょうか。狸が婆を殺し、その婆に化けて、芝刈りから帰ってきた爺に、「狸汁」と称して「婆汁」を食べさせるシーンは衝撃が強すぎるのか、最近の子ども向け絵本では「婆に大怪我をさせて逃げていく」に留まっているものもあるそうです。
(そりゃそうですね。よく考えたら子ども向けのお話にこうも堂々とカニバル描写が出てくるわけですから。BPOも映倫も真っ青です。)

「カチカチ山」の現在の形での成立は室町時代のことと考えられていますが、「狸」のイメージは奈良、平安から続くそれです。

つまり、「狐狸が棲む」というのは、ただ荒れ果てて野生動物が住み着いたという意味を超え、人間が絶対近づいてはならない妖の領域と化していることも意味しています。(と思います)

烏とか、草の生えた石段とか、蟋蟀(今はコオロギと読みますが、キリギリスと読みました)とか、退廃とグロテスクのイメージには事欠きません。全て、ひとつのイメージに収斂していくように配置された「小道具」たちです。

次回は、「夕方、門、二階に登る梯子、一人」について書こうと思います。

では、今夜はこの辺で。

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